7年ほど前まで住んでいた横浜の戸塚へ行く用事があったので、西口側駅前の様子を撮影してきました。かつて戸塚の大踏切は開かずの踏切として有名で、吉田茂元首相の怒りを買ったり、あの箱根駅伝にも影響を及ぼしたりと交通の難所だったわけですが、いまでは再開発により姿を消しました。この記事では、戸塚の大踏切を2011年から現在まで写真で振り返ります。
2011年2月19日
これが戸塚の大踏切。戸塚には、東海道線、横須賀線、湘南新宿ライン、成田エクスプレス、貨物列車などなど、とにかくたくさんの電車が乗り入れています。そのため踏切がなかなか開かないし、開いたとしてもすぐに閉まってしまう。お年寄りや子供など、歩くのが遅い人には危険な踏切でもありました。
2012年12月20日
道路のど真ん中に存在感抜群の大きな橋脚が立てられました。このとき踏切はまだ廃止されておらず、車も人も通行できる状態でした。
2013年12月16日
橋脚の上に人道橋がほぼ完成していました。なお、この人道橋は「戸塚大踏切デッキ」と命名され、この写真を撮影してから約1ヶ月後の2014年1月26日に完成となりました。
2014年12月8日
完成してから約10ヶ月が経過した戸塚大踏切デッキの様子。踏切手前に車が停車していることからも分かるとおり、このときもまだ大踏切は閉鎖されていません。
2016年4月8日
そしてこれが昨日の戸塚大踏切「跡」の様子。そうです。2015年3月25日に清源院入口から矢部団地までアンダーパスが開通したことにより大踏切が完全に廃止され、昨日訪れた際は綺麗さっぱり無くなっていました。大踏切の面影と言えば、その部分だけバラストが新しい(色が白い)ことくらいでしょう。しかし何の予備知識も無い人が見たら、ここに大踏切があったことには気づかないだろうと思います。
依然として再開発進行中の街、戸塚
良くも悪くも戸塚の名物だった大踏切はアンダーパスの開通により役目を終え、完全に姿を消しました。今では人道橋の名称「戸塚大踏切デッキ」にかつての大踏切の面影を感じることができます。だけど数年後「なんで踏切が無いのに大踏切デッキなの?」とか言い出す若者が出てくるはずです。
昔の街並みが失われるのは寂しいですが、戸塚の本件のように利便性と安全性が向上する前向きな変化ならノスタルジックなことばかり言ってられません。それに、本当に意味のある変化であれば、直に寂しさも紛れるんじゃないかと思います。