北国街道・六割坂の頂上から信越本線の青海川駅とE115系を撮影

ゴールデンウィークに帰省した際、いつもは上を通るだけの米山大橋の下へ初めて行く機会がありました。米山大橋を下から見上げると、改めてその巨大さに気づきます。そして良い意味で周囲の景観と馴染まない、差し色とも言える赤の美しさも再認識しました。

米山大橋

信越本線 青海川駅

北国(ほっこく)街道・六割坂の入り口(頂上)から見下ろす形で「日本一海に近いところにある駅」として有名な青海川駅を撮影しました。日本海に面した小さな無人駅ですが、鉄道ファンの間ではもちろんのこと、テレビドラマの舞台にもなるなど何かと有名な駅です。

青海川駅

しばらくすると、運良く直江津方面から電車がやってきたので、瞬時に構図を考えて撮影しなおしました。あとで調べたところ、この電車は15:44発の長岡行きE115系だったようです(2分ほど遅れて発車したようでした)。

青海川駅

中越沖地震で被災するも、復活!

青海川駅は2007年の新潟県中越沖地震で被災しました。そのときの様子が長岡技術科学大学によってまとめられています(まとめられていました)。リンク先の写真を見ると、主に直江津側のホームや線路が土砂崩れによって被災しています。見事に復旧した現在は、法面がコンクリート等によって補強されています。なお、前述の米山大橋は中越沖地震に耐え、通行止めになることはありませんでした。

青海川駅

ところで、北国街道とは?

Wikipediaによれば、北国街道の本道は「善光寺への参拝のために整備され、佐渡の金を江戸に運ぶ道として五街道に次ぐ重要な役割を果たした」とあります。この内陸における本道に対し、日本海に沿った北国街道は北陸道とも呼ばれます。しかし、古代の北陸地方が「越国」という地方王国を形成した歴史や、畿内から北に伸びる路線である事から、北国街道とも呼ばれるのだそうです。

米山大橋付近の石碑

昔の北国街道(北陸道)は、写真にあるとおり断崖に沿った海岸線にありました。北陸道最大の難所は、青海川から西へ行ったところにある糸魚川の親不知ですが、青海川周辺においても波にさらわれるなどして命を落とした人は少なくないだろうと想像します。山越えで行くのも海岸沿いを行くのも大変だった時代。今では考えられません(そもそも佐渡の金を江戸まで徒歩で運ぶこと自体が考えられないわけだけど)。

藤

米山大橋の下にはひっそりと藤の花が咲いていました。太い蔓が大木に巻き付いており、だいぶ古くからこの地に根を張っているようでした。蔓の巻き方が、野田藤(のだふじ)は右巻き、山藤(やまふじ)は左巻きだそうですが、この藤の蔓はどっち巻きだったか忘れてしまいました。でも花の長さ的に野田藤な気がします(野田藤の花は山藤の花より長く垂れ下がり、長いもので60cmにもなるらしい)。

1967年竣工の米山大橋より先輩かも!?それどころか、藤の寿命は100~1000年以上となることもあるらしいので、北国街道を行く古の旅人たちの癒やしとなったかもしれません。でもやっぱりちょっと無理あるかな?

藤

青海川駅は日本海に面しているので夕日がとても綺麗。僕も何度か見たことがありますが、撮影したことはないので、次は夕日を入れた写真も撮ってみたいです。

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